今日、去年からHenryReedファームに2匹いた豚のうち、残っていた1匹が屠殺されました。もう1匹は去年、私が日本に行っている間に屠殺されベーコンやポークチョップになりました。そして今回は私も屠殺を見学&手伝いもしました。「おめーベジタリアンじゃねえのかい?」とお思いの方もいるでしょうが、まあまあ最後まで読めやい。
4本足の屠殺を見るのは初めてで(鶏しか見た事なかった)、しかもこの豚はかなりデカかったので「どうやってやるんだろう?」と思いながら見学していました。
まず豚は前日から餌を抜かれ、屠殺にはハンティング用のライフルが使われましたが動物に対して弾が小さかったのか微妙に急所(銃殺の場合、一撃で苦しまず死ぬよう眉間のど真ん中を狙う)を外したのか一撃では死なず、豚は苦しみ3発目でようやく倒れました。ここが最も見るに耐えない場面でした。ファームの奥さんは「だから303(デカイ方の銃)使えつったのに!」と旦那さんに怒っていました。豚が倒れたらすぐ、デカイ男二人で体を押さえ頸動脈を切り、大量の血が出て豚は息を引き取りました。その後豚の足にロープをくくり付け、トラクターで持ち上げ、更に血抜き。私が手を貸したのはここから(あと内蔵を埋める穴(墓穴?)も掘りました)で、旦那さんがノコギリで首を切り落とし(頭を使って何かを作るって行ってたけど思い出せません)、奥さんは持ち上げられた豚を胴体の真ん中から切り開き、内臓を掘り出しました。豚はオスで、「おチンチンのところは避けて切り開くのよ、でないとおしっこがビャーっと出て自分に引っかかるよ!」と奥さんは教えてくれました。血まみれになりながら共同作業で豚を解体していく奥さんと旦那さん、私はただナイフや道具を渡したり、取り出した内臓をwheelbarrow(日本語でネコだっけ?手押しの一輪車)の中に受け取って、前もって掘っておいた穴に埋めたりしただけなんだけど...(肝臓や心臓などはファームにいる2匹の犬の御馳走になります、わかってるのかじっとまわりで見てた)。
この一連の作業を経て、豚は肉になりました。これは売り物ではなくファームの家族のものです。動物が肉へと変わる作業、とても大変で危険も伴う作業にも関わらず、多くの北米の精肉業者は違法移民や不法就労者をなんの保障もなく最低の賃金で雇い、ここにはとても書ききれないような様々なトリックを用いて利益を上げようとしています。でも、私達の食べる肉はこうやって私達の食卓に上がるのです。私も女の子の友達で日本で鶏肉を切ったりパッキングしたりする職に就いている子がいますが、寒い部屋での作業や肉という脂の多いものを刃物でさばくという危険な作業を通して生活の糧を得ています。
自分が今まで食べてきた肉は、誰かが代わりに殺して誰かが代わりにおろして”商品”となって自分のところに来ていたんです。肉を食べる食べないの是非を問うているのではなくて、私達が食べる動物とそれを育てる人々や殺す人々に対するリスペクトを私達は持っても良いんじゃないか、と思います。あなたがファーストフードで百円だか二百円のバーガーを食べるとき、その安さが働く人に対する低賃金や動物を効率最優先で工場で育てたりしている事の結果なのだ、と言う事を知って下さい。私達の食べ物がどこから来るのか知りましょう。あなたの食べる全てのものはあなたの一部、つまりはあなた自身になるのだから。
私は実は、動物の屠殺方法を覚えようと思っています。今後自分がまた肉を食べるかどうかもわからないけど、知っておきたいんです。だから今回の見学&手伝いも自分から志願しました。「おめー本当にベジタリアンかよ」と冗談で言われましたが。ベジタリアンじゃないならなくてもいい、ただ納得のいくものだけを食べるようにしたいのです。そしてそれはとても贅沢な事で特権的な事でもあります、食べるものを選べない人の方がこの世の中の大多数なのだから、だから自分の人生は本当に恵まれている、と巡り巡って豚の屠殺からここに辿り着いた本日のネンでした。
bye bye piggie, you may be a human and I may be a pig in the next life,
if that's the case make the best fuckin' bacon out of me.
ネンちゃん、貴重な経験ができましたね。ほんと、私らは肉をただ店で買えばいいだけなんだもんね。動物を飼育してる人たち、屠殺作業を仕事としている人たちに感謝です。そしてもちろん、殺され食べられていく動物たちにも感謝です。
返信削除中国雲南省を旅してるとき、たまに行ったレストランのすぐ裏が豚の屠殺場で興味があったのでちょっと覗いてみました。そこでは銃では殺してなくって(どうやって殺してたんだろ?)半殺し状態の豚たちがごろごろしていて、その叫び声がたまらなかったです。
俺も鶏をつぶした時 手に伝わる血と肉の温かさに ひるんだよ
返信削除命をいただくって 頭でわかっていたつもりだけれど
ぜんぜんわかってなかった
体で 体験した瞬間だったよ
ブログ読んでますよ ネンダイさん10人かぁ
俺のblog読者は0人だが・・・
sonさん>
返信削除豚の悲鳴ってまたすごいハイキーで、いつまでも耳に残るよね
私もメキシコでレストランの庭に鶏が完全フリーレンジでうろうろしてて
となりの席のメキシコ人がなんか注文したと思ったら、店のおばはん、
おもむろ鳥一匹そこで捕まえてキッチン(アウトドア&丸見え)の
連れてって...(以下省略)実はこの一件以降僕は肉食べるの止めたんだけど
(気持ち悪かったからでなく彼らのやり方の方が正しく見えたので)
でも!昔は(先進国以外の国いくつかの国ならきっと今も)
肉の屠殺はそういう職の人のものだけでなくて、ある意味で
コミュニティ内で一匹の動物を殺しさばいてシェアし合うという
むしろcelebrationだったんだよね、命を頂く事の。
タティアナも「コロンビアでは元旦に人々は街の通りで豚をおろし肉を分け合ってある意味でbloc party」って言ってた。
やっぱ、感謝の気持ちがなくなると人生はさみしいものになってしまうね
prasadさん>
え!!ブログあるの?言ってよ〜読みたい〜、アドレスください!
いや私も読者10人て願望も入ってる気が。
でも本当、「命を頂く」と言う行為は生半可ではないな、と思いました
(つってあたしゃ食べてないけどこの豚)
感謝の気持ちだけが救いなのだなあ
Jamican達も 「工場で殺された肉は食べない」んでごじゃるよね。
返信削除アタクシも昔 ウロウロしていた東南アジアや南アジアで 何度かこういった食べる人の手によって豚や鶏を殺して解体する現場にいたり、それを料理したりしておりましたわ。
こういう経験をすると お肉などを頂く時、自然に姿勢を正して手を合わせたくなりまする。 どれだけの大きな犠牲が我々の為に払われているのか思い知らされました。
ところで、このファームでは豚の内臓は食べないのでごじゃりますの?
大抵、腸とか胃とか皆さん調理して食べられるのでごじゃるのに。
捨てるのはもったいなさすぎる~!
よーこ。さん>
返信削除あっ言われてみればそうですね、
犬にあげたのはたしか心臓と肝臓だけだったような。。。
勿体ないな確かに。
しかし北米(特に白人)の人は内臓嫌いな人多いですよね
モツとかレバーとかだめみたい、どちらも私の昔の好物でしたが。
わたし、居合せられるかな。
返信削除ファーストネーションのおじさんが前に、
”族のなかでリーダーになる者は、ハントした動物をさばくことができる者だった。しかし、今の世の中でブッチャーは汚い仕事になってしまっている”って言ってました。
最近、太郎くんがまた鳥を捕まえてきます。
yuiちゃん>
返信削除太郎君が自分がゆいちゃん一家のリーダーと思い込んでる可能性大だね。
もしや実際そうなのか?
>”族のなかでリーダーになる者は、ハントした動物をさばくことができる者だった。しかし、今の世の中でブッチャーは汚い仕事になってしまっている”
全くその通りだよね。
肉であれ野菜であれなんであれ、自分の食べ物がどこから来るのかも
分からずに感謝の気持ちを持つなんて不可能だし、そうした距離がさらに
人々の無関心を助長して、心のない食ひいては病気なんかにも繋がっていく気がするよ。
先日『Food Inc.』という映画を見ました。
返信削除ここに書かれているとおりの内容でした。
安い肉を仕入れる為に工場(あえて牧場ではなく工場と言いましょう)で作った牛、豚、鶏は可哀想でした。
またトウモロコシ+抗生物質+ホルモン飼料による排泄物の公害とか、、値段は高いですが、ホールフーズにて
有機栽培の野菜、肉などを買う事で環境に協力しています。無殺菌牛乳はホールフーズから消えました、これは牛乳業界が保険会社に圧力をかけた結果です。
人のことよりも利益のための食品業界です。
zakさん 同感です
返信削除アメリカの精肉業界はぶっちゃけ自国民に対するテロですよね
更にそれを支える飼料用の食品(大豆やもろこしなど)に対するsubsidies
国のシステム自体が 国民を守るものでなくmulti-national corporationsの
利益を守るためにしか機能しない 狂ってますよね
そこの先進国も似たかよったかですが。。。
自分の身を守る為にも 環境を守る為にも
安全な食べ物を求める市民の姿勢が大事なのだと思います